【肥満症】注射が“日常”になった時代―GLP-1・インスリン・ボトックス、その一本を安全に続けるために―
はじめに ― その一本は、もう「特別な医療」ではない
冬になればインフルエンザの予防接種を受け、花粉症やぜんそくには抗体製剤を打ち、糖尿病があればインスリン、GLP-1 受容体作動薬を注射する。関節が痛めばヒアルロン酸を注入し、しわが気になればボツリヌス毒素を打つ。かつて注射といえば、ちょっと敷居が高い医療行為でした。しかし 2026 年の今、注射はごく多くの人にとって、血圧を測ることや歯を磨くことと同じくらい生活に組み込まれた行為になりつつあります。針を刺すことに、もはや特別な覚悟を必要としない人が確実に増えているのです。
この変化の中心にあるのが、GLP-1 受容体作動薬の登場です。米国心臓病学会誌 JACC の編集長である Krumholz は、2026 年 8 月の巻頭言で興味深い指摘をしています。米国の年齢調整心血管死亡率は 2000 年から 2011 年にかけて 34.7% 減少したものの、その後 2022 年までほぼ横ばいとなり、一方で心血管疾患への直接支出は約 700 億ドルから 2200 億ドルへと三倍に膨らんだ。彼はこれを「不穏な停滞(disquieting plateau)」と呼びます。そのうえで、GLP-1 受容体作動薬は「単に余分な体重を治療する薬ではなく、強力な心血管代謝の健康薬である」と再定義すべきだと主張しました(Krumholz, J Am Coll Cardiol 2026)。注射は、痩せるための道具から、命を守るための道具へと意味を変えつつあります。
しかし、日常化には必ず影がついてきます。2025 年、米国 CDC はネット通販で購入したボツリヌス毒素を自分で注射した 3 名の女性が、嚥下障害・呼吸困難をきたして入院し、うち 1名は人工呼吸器管理を要したと報告しました(MMWR 2025)。注射という行為が身近になるほど、「誰が、何を、どこから手に入れて、誰が経過を見ているのか」という問いが重みを増します。本コラムでは、GLP-1 受容体作動薬を軸に、注射手技の科学、注意すべき有害事象、中断・再開のリスク、そして継続的フォローアップの設計図までを、欧米の最新エビデンス10 件に基づいて整理します。読み終えたとき、「安全に打ち、安全に続ける」とは具体的に何をすることなのかが見えてくるはずです。
1.注射はなぜ「日常」になったのか ― 数字が示す普及の速度
注射医療の日常化は、印象論ではなく数字で裏づけられます。糖尿病領域では、自己注射はすでに半世紀以上の歴史を持ちます。しかしこの 5 年で起きたのは、糖尿病を持たない人にまで週 1 回の皮下注射が広がるという、質的にまったく異なる変化でした。セマグルチド2.4mg の心血管アウトカム試験 SELECT では、糖尿病を持たない過体重・肥満かつ心血管疾患既往のある 17,604 名が登録され、主要心血管イベント(心血管死・非致死性心筋梗塞・非致死性脳卒中)が約 20%減少しました(Lincoff et al., N Engl J Med 2023)。これは「体重を減らす薬」の枠を超え、注射が予防医療の一部として位置づけられた歴史的な転換点です。
同時に、実臨床での使用実態は臨床試験のそれとは大きく異なります。GLP-1 受容体作動薬に関する観察研究を統合したレビューによれば、初年度に 20〜50%の患者が治療を中断し、2 年目までには中断率が 85%を超えるという報告もあります(Zeigler et al., Healthcare2026)。臨床試験では 85%以上が継続していたことを考えると、この落差は驚くべきものです。つまり現在の日本を含む世界の状況は、「多くの人が始め、そして多くの人が静かにやめている」という、極めて不安定な普及の途上にあると言えます。
この不安定さは、注射という投与経路そのものにも一因があります。錠剤と違い、注射は保管温度、針の管理、打つ部位、打つ角度、そして廃棄方法という複数の手順を患者自身が担います。手順のどこかが崩れれば、薬の効き方も安全性も変わります。逆に言えば、注射医療の日常化とは、医療者が担っていた品質管理の一部を患者と家族が引き受けるということでもあります。だからこそ、「打ち方を教える」ことと「打ったあとを見守る」ことは、処方そのものと同じ重さを持つ医療行為なのです。
まんかいメディカルクリニックでは、基本的に必ず医師が問診を行い看護師が注射しています。その後も定期的に問診・診察し、確認しています。日曜・祝日診療を行っているのも、平日に受診しづらい方が「打ち始めたあと」に途切れず相談できる体制を保つためです。
2.GLP-1 は「痩せる注射」ではない ― 心血管代謝薬という再定義
GLP-1 受容体作動薬や GIP/GLP-1 受容体作動薬をめぐる社会的な話題は、しばしば「何キロ減ったか」という一点に集中します。しかし、この見方は薬の本質を取り違えている可能性があります。Krumholz は前述の巻頭言で、「私たちは薬効クラスを、最初に有効性が示された疾患の名前で呼ぶ傾向がある。それが定着すると、思考が静かに制約される」と述べ、この薬剤群を血糖降下薬でも抗肥満薬でもなく、心血管代謝の健康薬(cardiometabolichealth drugs)と呼ぶべきだと提案しました(Krumholz, J Am Coll Cardiol 2026)。
この主張を支えるのが、同じ号に掲載された SURMOUNT-1 試験の事後解析です。Sattar らは、糖尿病の有無を問わない肥満・過体重の参加者に対しチルゼパチドを 72 週間投与し、幅広い心血管リスクバイオマーカーの変化を測定しました。その結果、機序的に異なる 4 つの経路すべてで改善が確認されました。すなわち、炎症(高感度 CRP が最高用量で約半減し、インターロイキン-6 も並行して低下)、代謝・脂肪組織由来のストレス(インスリン抵抗性、レプチン、肝酵素の改善と、代償的なアディポネクチンの上昇)、内皮機能、そして血栓リスクです(Sattar et al., J Am Coll Cardiol 2026)。体重という単一の数字の背後で、血管の生物学そのものが書き換えられていたことになります。
臨床的な意味は明快です。体重計の数字が思うように動かなくても、その注射は無駄ではないかもしれない。逆に、体重だけを目標に据えると、「目標体重に達したからもう不要」という誤った判断につながりかねません。Krumholz は、心血管代謝上の利益が体重減少の大きさから部分的にでも切り離せるのであれば、より低用量・低頻度の投与戦略が、より多くの人に、より低コストで利益を届けられる可能性があるとも指摘しています。私たちはこれまで、これらの薬を体重減少の最大化に向けて用量調整してきましたが、アウトカムを最適化するために必要な最小限の曝露量はまだ分かっていないのです。
この視点は、日々の診療の対話を変えます。「あと何キロ」ではなく、「血圧は、脂質は、肝機能は、CRP はどう動いたか」を一緒に見る。まんかいメディカルクリニックでは、CT による内臓脂肪面積の評価、超音波による脂肪肝・頸動脈の観察、血液検査による炎症・代謝マーカーの追跡を組み合わせ、体重以外の指標で治療の価値を可視化することを重視しています。
3.「どこに、どう打つか」で結果は変わる ― 注射手技という地味で
決定的な科学
注射の話題は薬剤の効果に集中しがちですが、実際の効き方を左右するのは、しばしば地味な手技の細部です。2025 年、13 か国 16 名の専門家からなる国際委員会が、Mayo ClinicProceedings 誌に「FITTER Forward」と呼ばれるインスリン注射手技の最新推奨を発表しました(Klonoff et al., Mayo Clin Proc 2025)。この推奨は、針の長さ・太さから保管温度、患者教育の方法までを網羅した、現時点で最も包括的な注射手技のコンセンサスです。
中核となる推奨のひとつが、針の選択です。委員会は、成人の体型や体格指数にかかわらず4mm・32ゲージの短い細い針を用い、45度ではなく90度で垂直に刺すことを推奨しました。
短い針は筋肉内注射のリスクを減らし、吸収の予測性を高めます。もうひとつは注射部位のローテーションです。同じ場所に繰り返し打つと、皮下脂肪が硬く盛り上がるリポハイパートロフィー(脂肪肥厚)が生じ、そこに打った薬の吸収は不安定になります。血糖が説明のつかない乱高下を示すとき、原因が薬でも食事でもなく「打つ場所」にあることは、決してまれではありません。
特に重要なのが、リポハイパートロフィーの早期発見です。Klonoff は「触れて分かるようになった時点で、すでに深刻な問題になっている」と述べ、視診と触診に加えて超音波による評価の有用性に言及しています。硬結は目に見えるようになるずっと前から始まっており、患者自身は痛みが少ない部位を無意識に選んで打ち続けるため、悪循環が強化されやすいのです。加えて委員会は、針の再使用をしないこと、未開封の製剤は 2〜8℃で冷蔵保管することを明確に推奨しました。針の再使用は先端の変形と痛みの増加、そして衛生上のリスクを招きます。
こうした推奨は、インスリンだけでなく GLP-1 受容体作動薬をはじめとするあらゆる皮下自己注射に通じる原則です。そして、これらはすべて「診察室で実際に確認しなければ分からないこと」でもあります。処方箋を出すだけでは、患者が本当に 4mm の針を垂直に、毎回違う場所に打てているかは把握できません。当院が定期受診のたびに腹部・大腿の注射部位を実際に診察するのは、この地味な確認が最終的な治療成績を左右すると考えているからです。
4.起こりうることを、あらかじめ知る ― 消化器症状・周術期の誤
嚥・そして眼
安全に使うとは、リスクをゼロにすることではなく、起こりうることを事前に知り、起きたときにすぐ対応できる体制を持つことです。GLP-1 受容体作動薬で最も頻度が高いのは悪心・嘔吐・便秘などの消化器症状で、これは胃排出遅延という薬理作用そのものに由来します。多くは増量期に一過性に現れ、緩やかな増量と食事量の調整で管理できますが、この胃排出遅延は思わぬ場面で問題になります。
その代表が、手術や内視鏡検査などの鎮静を伴う処置です。米国麻酔科学会を含む複数の学会は、GLP-1 受容体作動薬を使用中の患者では胃内容が残存し、麻酔導入時の誤嚥性肺炎のリスクが高まりうるとして、多学会合同の臨床実践ガイダンスを公表しました(Kindel etal., Clin Gastroenterol Hepatol 2025)。そこでは、連日投与製剤は処置当日に、週 1 回投与製剤は処置の 1 週間前に休薬することが一つの選択肢として示される一方、休薬に伴う血糖悪化や心血管系への不利益も考慮し、24 時間の清澄水分食(クリアリキッド)への切り替え、迅速導入麻酔、そしてポイントオブケア胃超音波による胃内容の評価といった代替策も推奨されています。重要なのは、患者自身がこの薬を使っていることを、歯科を含むすべての処置前に必ず申告できているかどうかです。
眼に関する新しい知見も見逃せません。2026 年 2 月に JAMA Ophthalmology 誌に発表された米国退役軍人省のコホート研究では、2 型糖尿病を有する 102,361 名(セマグルチド開始者11,478 名、SGLT2 阻害薬開始者 90,883 名)を中央値 2.1 年追跡したところ、セマグルチド開始者では非動脈炎性前部虚血性視神経症(NAION)の新規発症がハザード比 2.33(95%信頼区間1.54〜3.54、P<0.001)と有意に高いことが示されました(Heberer et al., JAMA Ophthalmol2026)。NAION は「眼の脳梗塞」とも呼ばれ、突然の片眼の視力低下・視野欠損をきたす疾患です。ただし、これはあくまで相対的なリスクであり、絶対的な発症頻度は非常にまれであること、そして同薬が心血管死や総死亡を減らすという確立された利益を上回るものではないことも、同時に強調されています。
この研究が私たちに求めているのは、薬をやめることではなく、伝えることです。研究者らは「臨床医は心血管代謝上の意義ある利益を伝えたうえで、まれではあるが重篤な視力障害についても説明し、視覚症状が出た場合には速やかな受診を促すべきである」と結論づけています。片眼が急に見えにくい、視野の一部が欠ける、といった症状が出たときに、すぐ相談できる先を患者が持っていること。それが安全性の実体です。
5.「やめたあと」にこそ医療がある ― 中断と再開のサイクルが招く
もの
注射医療で最も語られてこなかったのが、「やめたあと」の医学です。2026 年、NatureReviews Endocrinology 誌に掲載された Ceriello らのレビューは、この空白を正面から扱いました。彼らによれば、GLP-1 受容体作動薬やチルゼパチドの中断理由は、消化器系の有害事象、期待したほどの効果が得られないこと、高いコスト、そしてまれな有害事象への不安が主なものです。そして中断後には、体重の再増加とともに、それまでに得られていた心血管代謝上の改善が急速に失われていきます(Ceriello et al., Nat Rev Endocrinol 2026)。
特に警鐘が鳴らされているのが、「開始・中断・再開」を繰り返すサイクルです。このサイクルは体重と HbA1c の大きな変動を生み出し、こうした変動そのものが、平均値とは独立して心血管イベントおよび細小血管合併症のリスクを高めることが知られています。さらに著者らは、中断によってこれらの薬が持つ抗動脈硬化作用・プラーク安定化作用が失われ、急性の心血管リスクが上昇する可能性を指摘しています。減量と再増量を繰り返すことは、単に「元に戻る」ことではなく、より不利な状態に向かうことかもしれないのです。
実際の数字も厳しいものです。GLP-1受容体作動薬の中断後1年間の体重再増加は平均5.6kgに達し、追跡期間が長いほど再増加は大きくなります。STEP 1 試験の延長解析では、セマグルチド中止後 1 年で減量分の約 3 分の 2 が戻り、チルゼパチドの SURMOUNT-4 試験の事後解析では、中断者の 82.5%が 52 週までに減量分の 25%以上を再増加させていました。そして重要なのは、体重の再増加の程度に比例して、血圧・血糖・脂質といった心血管代謝マーカーの悪化が進むという用量反応関係が観察されている点です(Zeigler et al., Healthcare2026)。
ここから導かれる臨床的な原則は明快です。中断は、しばしば避けられません。副作用も、経済的事情も、人生の変化も現実だからです。しかし、「黙ってやめる」ことと「計画的にやめる」ことの間には、大きな医学的な差があります。やめる可能性が見えた時点で相談していただければ、減量ペースの調整、代替治療の検討、そして次に述べる運動と栄養による橋渡しを、あらかじめ設計することができます。フォローアップとは、順調な人を確認するためだけの仕組みではなく、うまくいかなくなった人が戻ってこられる入口なのです。
6.減った体重の“中身”を問う ― 筋肉と骨を守る「運動という橋」
体重が減ったことを喜ぶ前に、確認すべきことがあります。何が減ったのか、という問いです。今回の添付論文の一つである Zeigler らのナラティブレビューは、この点を丁寧に整理しています。インクレチン関連薬による減量では、失われる体重のうち 20〜40%が除脂肪量(筋肉などの脂肪以外の組織)であり、その量は平均 6〜7kg に及ぶと報告されています。さらに、骨密度の低下も治療中に観察されており、閉経後女性を対象としたプラセボ対照試験では、セマグルチド群でプラセボ群より大きな骨密度低下と骨吸収マーカーの上昇が確認されました(Zeigler et al., Healthcare 2026)。
この事実が中断後の問題を増幅します。除脂肪量が減れば安静時代謝量が下がり、体重を維持する能力そのものが落ちます。そして中断後の再増加は「脂肪優位」で進むため、治療前より代謝的に不利な体組成に着地しかねません。筋肉を失って脂肪を取り戻す――これが、中断後に起こりうる最悪のシナリオです。薬をやめた時点で、身体はすでに再増加に対して脆弱な状態にあるのです。
そこで Zeigler らが提案するのが、「行動的な橋(behavioral bridge)」としての構造化された運動です。有酸素運動とレジスタンス運動(筋力トレーニング)を組み合わせた運動を、薬物療法の開始と同時に始め、中断を越えて継続する。この戦略の根拠となるのが、リラグルチドを用いた S-LiTE 試験の事前規定二次解析です。同試験では、運動単独でも運動+薬剤併用でも腰椎・股関節の骨密度がプラセボと同等に保たれた一方、薬剤単独群では有意な骨密度低下が生じました。また併用群でのみ高感度 CRP が低下し、インスリン感受性の改善が治療期間を通じて維持されました(Zeigler et al., Healthcare 2026)。
著者らが強調するのは、タイミングです。除脂肪量の喪失は治療中に蓄積するため、運動は中断してから始めるのでは遅く、薬物療法と同時に開始すべきだと述べています。加えて、十分なたんぱく質摂取と個別化された臨床的スクリーニングが重要な構成要素である一方、中断時点での運動介入を直接検証したランダム化比較試験はまだ存在しないことも、著者らは率直に認めています。エビデンスの限界を知ったうえで、低リスクかつ生物学的に妥当な介入を先んじて組み込む――これが現時点での最良の判断です。まんかいメディカルクリニックが薬物療法と並行して運動療法を提供しているのは、まさにこの「橋」を最初から架けておくためです。
7.ネットで買った一本が救急外来に届く日 ― 個人輸入とグレーマー
ケットの現実
注射の日常化がもたらした最も深刻な影は、医療機関を経由しない注射の広がりです。2025年、米国 CDC は MMWR 誌で 3 例の重篤な健康被害を報告しました。29 歳、50 歳、59 歳の女性が、2025 年 5 月から 6 月にかけて、オンライン小売サイト、WhatsApp、TikTok を通じてアジア(韓国・中国)の非認可業者からボツリヌス毒素を購入し、自分で注射しました。注射から 2〜4 日後、嚥下障害、構音障害、複視、眼瞼下垂、呼吸困難、上肢の脱力といった症状が出現し、3 名とも入院、うち 1 名は人工呼吸器管理を要しました(Lamere et al., MMWRMorb Mortal Wkly Rep 2025)。いずれも FDA 承認製品ではありませんでした。
同じ構図は、いわゆる「ペプチド」の世界でさらに大規模に進行しています。2026 年にCureus 誌に発表されたレビューは、バイオハッキング文化の中で拡散する未規制ペプチド注射の実態を分析し、「懸念の中心は正当なペプチド医療ではなく、同一性・純度・力価・
無菌性・安全性が不確かな製品を用いた消費者の自己実験にある」と指摘しました(Kasagga,Cureus 2026)。SNS を通じた宣伝、非正規の流通経路、自己注射、複数製剤の同時使用(スタッキング)、監視されない用量調整、そして有害事象を捕捉する仕組みの欠如――これらが重なった結果、何が起きているかを誰も正確に把握できない状態が生まれています。
この問題は日本でも他人事ではありません。個人輸入代行を通じた GLP-1 受容体作動薬や美容目的の注射剤の入手は現実に存在し、そこには医師の診察も、適応の確認も、副作用への備えもありません。米国では偽造・不適切保管のボツリヌス毒素製剤に加え、調剤薬局が独自に配合したセマグルチド製剤で、単位の取り違えによる 10 倍量の投与といった重大な用量誤りが報告され、FDA が医療者と患者に注意喚起を出す事態にもなりました。バイアルとシリンジで「自分で量を測る」形式が、どれほど危険な設計であるかを示す事例です。
正規の医療機関で処方される注射薬にも副作用はあります。しかし決定的に違うのは、製品の身元が保証されていること、適応が確認されていること、そして何かあったときに責任をもって対応する医療者がいることです。当院には救急救命士が常駐し、急変時の初期対応体制を整えています。注射という行為を「買う」のではなく「医療として受ける」ことの意味は、まさにこの点にあります。
8.継続的フォローアップの設計図 ― 何を、いつ、誰と確認するか
ここまで見てきた課題は、すべて一つの解に収束します。継続的なフォローアップです。ただし「定期的に来てください」という言葉だけでは何も設計されていません。具体的に、何を、どの間隔で確認するのかを、患者と医療者が共有しておく必要があります。
導入初期(開始〜3 か月)に重点を置くべきは、手技と忍容性です。実際にデバイスを操作していただき、4mm の針で垂直に、毎回異なる部位に打てているかを確認します。悪心・嘔吐・便秘の程度を聞き取り、増量ペースを調整します。同時に、脱水や食事摂取量の極端な低下がないかを確認することも重要です。この時期は電話やオンラインでの相談を含め、接点を密にすることが中断予防に直結します。中断の多くが初年度に集中するという事実(Zeigler et al., Healthcare 2026)は、初期のきめ細かい伴走がいかに重要かを示しています。
安定期(3 か月〜)には、確認する対象が広がります。注射部位の視診・触診によるリポハイパートロフィーの評価(Klonoff et al., Mayo Clin Proc 2025)、体重だけでなく血圧・脂質・肝機能・HbA1c・炎症マーカーの追跡(Sattar et al., J Am Coll Cardiol 2026)、体組
成の評価による除脂肪量の維持確認、そして運動と栄養(特にたんぱく質摂取)の実行状況です。当院では CT による内臓脂肪面積の測定や超音波による脂肪肝・頸動脈の評価を組み合わせ、「体重以外の改善」を数値で見える化しています。加えて、視覚症状(急な片眼の視力低下や視野欠損)、強い腹痛、持続する嘔吐といった受診すべき症状のリストを、あらかじめお渡ししておくことも欠かせません。
そして最も見落とされやすいのが、出口の設計です。手術や内視鏡検査の予定が決まったら、必ず事前に申告していただく(Kindel et al., Clin Gastroenterol Hepatol 2025)。妊娠を希望する場合、経済的な理由で継続が難しくなった場合、副作用に耐えられなくなった場合――いずれも「黙ってやめる」前に相談していただければ、運動・栄養による橋渡しや代替治療を計画できます。フォローアップとは、うまくいっていることを確認する儀式ではなく、うまくいかなくなったときに軌道修正できる仕組みのことです。
おわりに ― 打つ技術と、見守る医療は一体である
注射はもはや、特別な医療行為ではありません。しかし「日常的である」ことと「簡単である」ことは同じではありません。GLP-1 受容体作動薬は体重の薬ではなく心血管代謝の健康薬であり(Krumholz, J Am Coll Cardiol 2026)、その利益は炎症・代謝・内皮機能・血栓リスクという複数の経路にまたがっています(Sattar et al., J Am Coll Cardiol 2026)。一方で、打つ場所と針の選択は吸収を左右し(Klonoff et al., Mayo Clin Proc 2025)、周術期には胃内容の残存という固有のリスクがあり(Kindel et al., Clin Gastroenterol
Hepatol 2025)、まれではあるが重篤な眼合併症の可能性も報告されています(Heberer etal., JAMA Ophthalmol 2026)。そして中断は、体重だけでなく筋肉と骨と血管の状態までを巻き戻します(Ceriello et al., Nat Rev Endocrinol 2026;Zeigler et al., Healthcare
2026)。
つまり、注射という治療の価値は、薬剤そのものだけでは決まりません。正しく打てているか、続けられているか、やめるときに計画があるか、そして異変に気づいたとき相談できる相手がいるか。この四つが揃ってはじめて、一本の注射は最大の利益を生みます。 (Lamereet al., MMWR 2025;Kasagga, Cureus 2026)。
まんかいメディカルクリニックでは、内科・呼吸器内科・内分泌領域の診療を軸に、CT と超音波による体組成・臓器評価、指定運動療法施設での運動療法、継続フォローを一体として提供しています。日曜・祝日の診療体制は、「打ち始めたあと」に途切れない伴走を可能にするための仕組みです。どうぞお気軽にご相談ください。安全に打ち、安全に続けることは、私たち医療者が一緒に担うべき仕事です。
FAQ ― よくあるご質問
Q1. GLP-1 受容体作動薬は、目標体重に達したらやめてよいのでしょうか?
体重を唯一の指標にすると判断を誤る可能性があります。JACC 編集長の Krumholz は、これらの薬を「心血管代謝の健康薬」と再定義すべきだと述べており、SURMOUNT-1 の事後解析でも炎症・代謝・内皮機能・血栓リスクという 4 つの独立した経路で改善が示されています(Sattar et al., J Am Coll Cardiol 2026)。また、中断後 1 年で平均 5.6kg の体重再増加が生じ、その程度に比例して血圧・血糖・脂質が悪化する用量反応関係が報告されています(Zeigler et al., Healthcare 2026)。やめる場合は、運動・栄養による橋渡しを含めた計画を医師と立てたうえで進めることをお勧めします。
Q2. 毎回同じ場所に打つほうが痛くないのですが、問題ありますか?
問題があります。同一部位への反復注射は、皮下脂肪が硬く肥厚するリポハイパートロフィーを招き、その部位からの薬剤吸収が不安定になります。血糖の説明のつかない乱高下や低血糖の原因が、薬でも食事でもなく「打つ場所」にあることは決してまれではありません。FITTER Forward 推奨(Klonoff et al., Mayo Clin Proc 2025)は、毎回部位を計画的にローテーションし、4mm・32 ゲージの針を 90 度で使用し、針を再使用しないことを求めています。硬結は触って分かる前から始まっているため、定期的に医療者が視診・触診で確認することが重要です。
Q3. 手術や胃カメラの予定があります。GLP-1 の注射は伝えるべきですか?
必ず伝えてください。GLP-1 受容体作動薬は胃の排出を遅らせるため、絶食したはずでも胃内容が残存し、麻酔導入時の誤嚥性肺炎のリスクが高まる可能性があります。米国麻酔科学会などによる多学会合同ガイダンス(Kindel et al., Clin Gastroenterol Hepatol
2025)では、連日投与製剤は処置当日、週 1 回投与製剤は 1 週間前の休薬が選択肢として示される一方、24 時間の清澄水分食への切り替え、迅速導入麻酔、胃超音波による内容物確認といった代替策も推奨されています。自己判断での休薬は血糖悪化を招きうるため、必ず処方医と処置を行う医師の双方に相談してください。
Q4. 個人輸入やネット通販の注射薬は、値段が安ければ選んでもよいのでは?
推奨できません。2025 年、米国 CDC は、オンラインで購入したボツリヌス毒素を自己注射した 3 名が嚥下障害・呼吸困難で入院し、1 名が人工呼吸器管理を要した事例を報告しています(Lamere et al., MMWR 2025)。また 2026 年のレビューは、グレーマーケットの
ペプチド製剤では同一性・純度・力価・無菌性が保証されず、有害事象を捕捉する仕組みも存在しないと警告しています(Kasagga, Cureus 2026)。米国では単位の取り違えによる 10 倍量投与の報告もあります。医療機関を通す価値は、製品の身元、適応の確認、そ
して何かあったときの対応体制にあります。
Q5. 注射で減量中ですが、運動は体重が減ってから始めればよいですか?
同時に始めるべきです。インクレチン関連薬による減量では、減った体重の 20〜40%が除脂肪量(筋肉など)であり、平均 6〜7kg に及ぶと報告されています。除脂肪量の喪失は治療中に蓄積するため、中断してから運動を始めるのでは遅いとされています(Zeigler et
al., Healthcare 2026)。有酸素運動とレジスタンス運動を組み合わせた構造化された運動は、除脂肪量・骨密度・心肺体力・インスリン感受性を保護し、十分なたんぱく質摂取と併せることで中断後の再増加を緩和しうると考えられています。当院では薬物療法と並行した運動療法をご提案しています。
参考文献
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※本コラムは医学的情報の提供を目的としたものであり、個別の診断・治療を代替するものではありません。気
になる症状がある方は医療機関にご相談ください。
記事監修者田場 隆介
医療法人社団 青山会 まんかいメディカルクリニック 理事長
医療法人社団青山会代表。兵庫県三田市生まれ、三田小学校、三田学園中学校・同高等学校卒業。 1997(平成9)年岩手医科大学医学部卒業、町医者。聖路加国際病院、淀川キリスト教病院、日本赤十字社医療センター、神戸市立医療センター中央市民病院を経て、2009(平成21)年医療法人社団青山会を継承。 2025年問題の主な舞台である地方の小都市で、少子高齢化時代の主役である子どもと高齢者のケアに取り組んでいる。
